殺生石はゲームやアニメにもよく登場するので聞いた事がある人も多いと思います。ダンまちに置いては春姫の件で殺生石が使われるのでアニメや原作を見てる人にとってはタイムリーなワードかもしれません。
日本には殺生石に纏わる伝承がいくつもあって中でも那須にある殺生石の知名度は一番かもしれません。そしてその石を語る上で外せないのが異国から来た美女「玉藻前伝説」です。
玉藻前の本当の姿は金毛の九尾の狐でダンまちに登場する春姫にほんの少おおおおおおし似ている所もあります。とは言え春姫を想像しながら読む全然イメージが違いすぎるので軽い感じで見るのが丁度いいかもしれません。
殺生石の原料の元ネタになった話↓↓↓をクリックでジャンプ出来ます。
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ちなみに玉藻前伝説は創作なのでガチになりすぎないよう注意して下さい。
この後24:30よりTVA『ダンまちⅡ』第8話放送です! 放送局はこちら→→→TOKYO MX、サンテレビ、KBS京都、BS11、AT-X ぜひ御覧ください。 #danmachi #GA文庫 pic.twitter.com/tpWkH1uYVX
— GA文庫『ダンまち』シリーズ公式 (@danmachi_GA) 2019年8月30日
ダンまちに登場する殺生石とは?必要な素材のおさらい
最初に春姫に使われる殺生石について簡単なおさらいをしたいと思います。今更感もあるので必要ない方は飛ばして下さい。
殺生石はイシュタルが打倒フレイヤの為に用意した石。狐人の春姫の魂を石に封じ込める事で第三者が詠唱のいらない妖術を使えるようになります。
その効果は絶大ですがデメリットも大きく魂を封じ込められた者は赤ちゃんの様になるか生ける屍になってしまう。
春姫の犠牲が前提なので殺生石の儀式中は春姫が逃亡しないように魔道具の仕掛けがされている。
Lv.1で戦闘力は皆無だがイシュタルとしては春姫の存在そのものが貴重でした。後にその呪縛から逃れられるが殺生石の恐怖が完全に拭い切れた訳ではなく、
ヘスティアファミリアは勿論、アイシャも殺生石の流入や関連する情報を得る為にイシュタルファミリア崩壊後にヘルメスファミリアにコンバージョンします。
殺生石の原料
殺生石の原料は「玉藻の石」と「鳥羽の石」を素材に生成します。
「玉藻の石」の原料は狐人(ルナール)の遺骨が必要で元々は狐人の妖術の効果を上げるアイテム。ただ原料が原料なだけに非合法の宝珠と言われている。
「鳥羽の石」の原料は月嘆石(ルナティックライト)。月の光を浴びると色を変え魔力を帯びる特殊な石。武器や道具に使うと月の光に応じて硬度や威力の効果を変える。基本的に地下にもぐるダンジョンにはないのでオラリオで出回る事はない。
玉藻前と鳥羽天皇の話はこちらをクリックでジャンプします。
狐の化身!異国から来た美女「玉藻前」
殺生石を語る上で最初に知っておきたいのが玉藻前伝説です。その見た目は美しく博識でその姿を見た者は必ず恋に落ちたと伝えらています。
絵本三国妖婦伝によると玉藻前は最初、藻女(みずくめ)と呼ばれ子供に恵まれなかった夫婦に大切に育てられました。
出典:玉藻前。楊洲周延画「東錦昼夜競」Wikipediaより
18歳になった藻女は鳥羽上皇(とばてんのう)に仕える女官になり、その美しさと無類の博識から鳥羽上皇に寵愛を受け玉藻前と呼ばれるようになります。
しかし玉藻前が来てから鳥羽天皇の様子がおかしくなりました。青白い顔に目は虚ろで落ち着きもなくなり臣下達の声すら届かなくなります。
次第に原因不明の病に伏せるようになり、朝廷の医師にも手が負えなくなると臣下達は陰陽師の安部泰成(あべやすなり)に占いを依頼します。
安倍泰成は瞬時に原因を掴み鳥羽上皇に狐が取り付いていると説明しました。
安倍泰成が真言を唱えると、その効力に玉藻前が苦しみ悶えついに変身が解かれます。その姿は9つの尾を持った九尾の狐で狐は宮中を飛び出し天空に飛び去っていきました。
その後、那須野(現在の栃木県那須郡周辺)で女性がいなくなる事件が宮中へ伝わります。鳥羽天皇はかねてからの那須野領主の須藤権守貞信の要請に応える形で討伐軍を編成しました。
人選は、上総介広常(かずさのすけひろつね)、三浦介義純(みうらのすけよしずみ)、千葉常胤(ちばつねたね)を将軍にし陰陽師の安部泰成を軍師に任命し那須野へ派遣します。
那須野に着くと九尾の狐となった玉藻前を発見しすぐさま討伐に向かいます。
これには諸説あって宮中から消えた玉藻前が東北に現れ、その討伐に上総介広常と三浦介義純に命令が下り二人は東北から那須野へ玉藻前を追い詰めたという話もあります。正直この辺は自分の知識不足もあるしフィクションなので緩く見てやって下さい。
しかし、九尾の妖術で戦力の大半を失い討伐は失敗に終わります。その後、上総介広常と三浦介義純をはじめとする軍勢は犬の尻尾を狐に見立てた犬追物で騎射の訓練をし対策を練りました。
十分な策と準備を整え討伐隊は再び九尾に挑みます。
追い込まれる九尾の狐
討伐隊は次第に九尾の狐を追い込んでいきました。妖術も弱まって来たのか九尾は貞信の夢に娘の姿で許しを請いに来ました。
貞信はこれを好機と判断し最後の攻勢に出ます。そして壮絶な戦いに終止符を打ったのが三浦介義純と上総介広常の二人でした。
最初に三浦介義純が放った二本の弓が九尾の急所をつき、その隙きを見逃さなかった上総介広常が長刀で止めを刺し九尾の狐は息耐えました。
息耐えた九尾の狐の腹から仏舎利(ぶしゃり)が出たとか、狐の亡骸は宇治平等院の宝蔵に納められたとか諸説あります。ちなみに仏舎利とは釈迦の骨を意味します。
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九尾の呪い?魂を奪う殺生石
全てが終わったと思われたが九尾の狐の強い怨念で九尾は毒を発する巨大な石に変化し、近付く人間や動物の命を奪い周囲には草木ひとつ生えなくなりました。その後、村人はあらゆる命を奪う石として「殺生石」と名付け石による恐怖が始まりました。
殺生石は鳥羽上皇が亡くなったあとも無くなる事はなく鎮魂のために多くの高僧がやってきましたが殺生石の毒にやられ次々と倒れていきます。
そして、至徳2年(1385年)会津の元現寺を開いた玄翁和尚の霊力で殺生石の破壊に成功し、破壊された殺生石は日本各地に飛び散っていきました。
画像の中央にある注連縄の石が殺生石。出典:Wikipediaより
元々は溶岩でその付近には有毒な火山性ガスが噴出しており、それが原因で生き物や草木の命が奪われていました。
今でこそ観光スポットとして有名ですがガスは今でも噴出していて量が多いときは立ち入りの規制が入ります。
各地に散った殺生石のその後
化生寺:岡山県真庭市勝山
5メートル地中に埋められその上に石を積み上げた石塚になっている。
伊佐須美神社:福島県会津美里町宮林
高さ3メートル、長さ6メートルほどの大きさで地元福島では、玄翁石や源翁石とも呼ばれている。石は真ん中で割れていてなんでも玄翁和尚が那須野から福島までやってきて二つに割ったと伝えられています。
常在院:福島県白河市表郷中寺
源翁和尚が永和2年(1376)に源翁和尚が永常在院を開基。境内には殺生石の欠片が祀られています。常在院の伝承によると源翁和尚の33回忌を記念して制作された「源翁和尚行状縁起」という殺生石の縁起を描いた絵巻もある。(県指定重要文化財(絵画))
真如堂:京都市左京区浄土寺真如町
真如堂の広い境内には三重塔があり、その横には古びた地蔵堂があります。中には鎌倉地蔵という不思議な縁を持つ地蔵が安置されています。
実はこの地蔵、殺生石で出来ており玄翁和尚が殺生石で命を無くした者を供養する為に作ったと言われていて散らばった殺生石のなかでも最も素性が明らかな石としても有名。
ちなみにこの鎌倉地蔵は元は鎌倉に安置されていて江戸時代の初期に幕府の大棟梁だった甲良豊前守の枕元に現れ「生きとし生けるもの全てを悟りの境地に導くため京都にある真如堂へ移動せよ」とお告げがあったという。
この地蔵を信仰していた甲良豊前守はすぐに地蔵を京都に移したという逸話がある。これにちなんで鎌倉地蔵と呼ばれるようになった。
玉藻前伝説の前日譚
九尾の狐は中国の神話が発祥で霊獣や神獣として描かれる事が多いです。しかし、一部では美女に化け人を惑わし国を滅ぼす厄災の象徴としても伝承されてきました。
そして玉藻前もその一人です。
話は中国古代王朝殷にまで遡ります。
当時、殷(いん)の王だった帝辛(ていしん)の寵愛を受けた妲己(だっき)という美しい女性がいました。妲己は王を惑わし無実の人に残酷な刑をかけるなど暴政を敷いていました。つまり裏で国を操っていたのが妲己という訳です。
この暴政に意義を唱えた周の武王が率いる軍勢に妲己は捕らえられ罰せられるはずでしたが、刑執行のとき処刑人の体が動かなくなる謎の現象が起きました。
これは可怪しいと思った太公望は妖怪や悪魔の正体を暴く照魔鏡(しょうまきょう)を妲己にかざします。
日本の歌舞伎や戯曲などでやる玉藻前伝説では照魔鏡を使う演出が使われていた。
降妖鏡(ごうようきょう)とも言われる。
出典:Wikipediaより
すると妲己の姿が人から九尾の狐の姿に変わり、狐はその場から逃げようとしますが太公望が宝剣を投げそれを阻止。
九尾の狐の体は三つに別れ飛び散って行きました。
インドに現れた九尾の狐
その後、九尾の狐は天竺(てんじく)の摩訶陀国(まかだこく)に現れ、ここでも王の夫人として正体を偽り暴政の限りを尽くします。
しかし、耆婆(きば)という者が夫人の正体を魔界の悪しき存在と見抜くと特別な樹から造った杖で夫人を退治しようとします。
弱った夫人は狐の姿を表しそのまま北の空へ飛んで行ったという。
九尾に化かされた王は国を滅ぼす
次に九尾の狐とされたのが、周朝の第12代の幽王の后だった褒姒(ほうじ)です。幽王は褒姒を深く愛しており、なかなか笑わない彼女にありとあらゆる手立てを講じましたが彼女が笑うことはありませんでした。
ある日、幽王は敵襲や緊急事態を知らせる烽火(のろし)を上げ太鼓を打ちます。
何事かと大急ぎで駆け付けた将兵や臣下達でしたが来てみると何もなく、将兵と臣下達はただ集まっただけの茶番となった。
しかし、ウロウロする臣下達を見て褒姒は澄み切った笑顔を見せ、それを見た幽王は嬉しくてその度に烽火を上げました。
臣下達は「またか」と招集することは無くなり、幽王は狼少年のように誰からも信用されなくなりまます。
後に褒姒に后の座を奪われた申氏の父の申侯は蛮族の犬戎の軍勢と連合を組み周を攻めました。当然、幽王は烽火を上げますが誰も集まらず幽王は命を落とし国は滅びました。
褒姒は捕らわれましたがいつの間にか姿を消し行方をくらました。
後に褒姒は若藻という16歳の少女に化け吉備真備の乗る遣唐使船に同乗し日本に来日。こうして日本の玉藻前伝説が始まります。
日本の妲己像は少し違う
日本の妲己は少し違う話で玉藻前の前日譚として語られています。
稀代の悪婦として有名な話が「妲己のお百」だ。京都の貧しい家に生まれたお百だったが絶世の美女で様々な信仰や思想、俳句(歌)など何を聞いても知っており博識だった。それはまるで玉藻前のようだった。
出典:葛飾北斎画『北斎漫画』Wikipediaより
12歳という若さで祇園の山村屋という色茶屋に売られ14歳ごろに池善右衛門に身請けしたお百はその後も男性や住む場所を転々とし佐竹家の臣である那河忠左衛門の妻になり名を「りつ」に変えました。
しかし那河忠左衛門は秋田騒動の中心人物で宝暦7年の6月に刑を執行されたが、お百は請状を偽造しただの召使いとしてお咎めはなかった。
MEMO秋田騒動(あきたそうどう)とは、1757年(宝暦7年)に久保田藩(秋田藩・佐竹藩)で発生した銀札と言われる銀の兌換券を原因とする騒動である。秋田騒動によって銀札の兌換を担当した商家の多くはつぶれた。
出典:「秋田騒動」Wikipediaより
間もなくしてお百は高間磯右衛門に引き取られます。
お百はこの間、その美貌を利用し何人もの男性の妻や目掛になり5人の男の命を奪いました。この悪行が中国の妲己になぞられ日本の悪婦として「妲己のお百」と扱われ、玉藻前の前歴と言われる由縁となりました。
その後も様々な文献や小説にお百は登場しますがその殆どが残酷な面を強調したものばかりでしたが、海音寺潮五郎の「哀婉一代女」では、実はお百は悪い女性ではなという設定で描かれたりしています。
さいごに
いかがだったでしょうか?殺生石の原料の元ネタについては言うことないですが、春姫の元ネタになったかもしれない玉藻前(妲己)の話は本当に少おおおおおおおおおおおおおし似てるとこはあったのではないでしょうか?
性格は正反対だけど
まぁここからは言い訳なんですけど創作という事もあって若干のズレはあると思います。いくつか分からないとこもあって調べてみたけど、辻褄が合わない部分や気になったままの所も結構ありました。
妲己のお百の話に関して言えば本家の内容が濃すぎて、改めて内容を精査して書きました。本当ならかなりドロドロした内容です。
その分、知らなかった話も知れたしある意味いい勉強になりました。それでは今回はかなり長くなったのでこの辺で失礼します。
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